慟哭Z 4

キッチンに入るや、サンジは「コーヒーでも淹れるか。」とおれに背を向けた。

それを眺めつつ、ラックから酒瓶を抜いてベンチ椅子の中央に座る。

 

猫背は出会った頃からだが、こんなに小さな背中だっただろうか。

偉そうにふんぞり返って、肩をいからせて、紗に構えてフフンと嗤う、そんな姿を見たのは随分昔のことのような気がする。

最近は、オドオドと小さくなって、おれを窺うような、困ったようなツラしか見てねえじゃねえか。

 

「おれが怖えか。」

サンジの背中に緊張が走り、ギギギッと音がしそうなほど機械的に振り向いた。

「おれが、なんでマリモなんぞを怖がらないといけねえんだ、アホぬかせ。」

 

まるで模範解答を読むような抑揚のない雑言。

ケンカ仲間としてこうあらねば、と決まった台本通りに動いている大根役者だ。

 

自分でも失敗したと思ってるんだろう、ふっと小さく笑うと、取り出した煙草をその口に咥えた。

「怖くねえ。」

 

くるりと、再び背を向けると、ポットとふたつのマグカップに湧いた湯を注ぎ始める。

パカンと音がして、コーヒーの香りが漂う。

挽いた豆をスプーンですくい、ちらりとこちらを振り返る。

おれも飲むぞ、と意思表示に頷くと、もう一杯をフィルターによそった。

おれのマグカップだって、用意しているくせに。

 

おれの様子を窺うな!機嫌を取ろうとしなくていいんだ!!

…湧き上がる理不尽な怒りに胸焼けしそうだ……。

 

コトン

 

鼻先をかすめたマグカップから立ち上る、まろやかな香りが脳へ染み渡る。

ざわついた気持ちがそれだけで、宥められていく。

料理人ってのは、すげえモンだな。素直に感心した。

 

サンジのカップも横に置かれ、短くなった煙草を持つ手が灰皿に伸びたのが目の端に写った。

「怖かったら、こんなに惹かれねえよ……。」

 見やるとマグカップを捧げ持つようにした両手へ額を押し当てており、表情は見えない。
「怖ぇのはセックスか。ひでえことばかりしてきたからな…。」
思い当たることがありすぎて自嘲すると、フルフルと小刻みに首を振り、強く否定してくれる。
 
「てめぇとすんのをイヤだと思ったことは無ぇよ。」
「そんなわけねぇだろ。おまえが痛がろうが、苦しがろうが、お構いなしでヤってたってのに!」
「んー……おれの具合がヨクねぇんだから仕方ないよな。首絞めっとアソコも締まるとか言うもんなぁ。」
「そうじゃねえ!」
「あ?男は違うのか?じゃ、やっぱ、おれが怒らせてただけ?」
 
たしかに、一時期のおれはずっと怒っていた。
サンジに対してではなく、見え隠れする他の男の影に対して。
そうだ。最初に自覚した苛立ちは嫉妬だったんだ。
惚れられている心地よさに胡座をかいて、自分からは何も動かずにいたくせに、手に入れたモンがかっさらわれたような最悪の気分を全部サンジに叩きつけてきた。
それに、酷く抱いても逃げないうちはおれのモノだと思えて……。
 
ハァーッ
 
思わずついたため息に、サンジが小さくなる。
 
あぁ、またやっちまった。
 
後悔して言い訳する前にサンジが口を開く。
「まあ、あれだ!なんでもいいけどよ、ホドホドにしてくれや。」
「ったりめぇだろ。」
「だよな。へへっ。てめぇを仲間殺しにはさせたくねえもんなぁ。」
 
そうじゃねえだろう。
なんで、おまえはそんな言葉を笑って言えるんだ。
 
「なんでおまえはそうなんだ。
おまえに惚れてるって言わなかったか?おれは。」
 

一瞬目を見開いたサンジは、噛み締めるように眼を瞑りふんわりと微笑んだ。

 

「うん。嬉しいなぁ。」

 

ほわぁっと頬に血の色がさす。

ちょうどサンジが好んでよく飲んでいるロゼワインのような色。

 

この顔をさせたかったんだ。

 

こんなことで良かったのか。

 

青褪めた顔色を疎んで殴っても、窒息寸前にさせても手に入らなかった顔色。

この顔に惚れたんだ、この表情で惚れられてると気付いたんだ。

 

いつからか見せなくなって躍起になった。

 

おれは、バカだ。

 

 continue